リラの名手@フィレンチェ & 総合演出家@ミラノ
domenica, il ventotto Gennaio 2007

レオナルド・ダ・ヴィンチ自作の楽器
「アッシュバナーム手稿より」
1487~90年頃
昨日、川畠成道氏の素敵なバイオリン・コンサートを
聴いたので(拙記事)、そういえば、レオナルドも自分
で弦楽器を制作して、それを弾きながら歌っていた、
というのを思い出しましたので、記事にして見たいと
思います。
図版と文面は、Top Pageにあります池上先生が
ご出版された「画集」と「ダ・ヴィンチからの遺言」も
拝借させていただきます。
冒頭の図版、龍の頭の形をした《リラ・ダ・ブラッチョ》
という開放弦付きの弦楽器の変形と思われていて、
この楽器をレオナルドは制作したようです。
演奏にも長けて、即興歌も上手な演奏家であったので
フィレンチェ時代には「美しい声で歌が上手」な音楽家
として知られていました。
それから、音楽家としての紹介状つきでレオナルドは
ミラノの僭主ルドヴィコ・イル・モーロの宮廷へ招き入り
ました。また、軍事技師としても雇い入れられたのですが
(レオナルドが書いた自薦状の10項目の内、9項目は
軍事知識の披露に当てていたが、最後に芸術家
として謙虚にアピールしていた)、宮廷は、レオナルドの
芸術的才能を発揮できる場を多くは結婚式などの祝祭
で演出することとして、提供しました。17年余りにわたる
ミラノ滞在中にレオナルドがその名を世にとどろかした
のは、総合芸術家としての活躍によるそうです。

『ダナエ』劇の舞台装置デッサン
1496年 ペンセピアインク
当時、ミラノ公国は結婚ラッシュでした。ダッコーネ脚本
による『ダナエ』が上演された時は、ゼウス神を演じる
役者のまわりを炎が取り巻くという派手な演出で大好評
を博したそうです。その時のスケッチが上記の図版です。
この総合演出で有名になって、フランスへ呼ばれたのも
このような演出能力を買われたこと、とのあまり知られて
いないレオナルドの一面を先生は書かれています。
舞台美術や祝祭演出には、衣装の考案も含まれて
います。演出は演劇だけでなく、勇壮な馬上試合も
行われたので、馬や騎手が身につける衣服などを
デザインすることが主な仕事だったようです。歌い、
演奏し、デザインし、舞台を設計し、役者を選らんで
演出し、数々の機械仕掛けで観客を驚ろかすなど
総合プロデューサーとして活躍していたようです!
そのあと、ローマへ移る事になりますが、活躍の場を
与えられず、失意の内にフランソワI世の招聘により
フランスで安住したことは、先日書きました(拙記事)。
録音装置やビデオが今のようにあったら、その当時
のレオナルドのプロデューサーとしての活躍ぶりが
分かったでしょうが、このように先生の文献から知る事で、
レオナルドの最後の活躍を称えたいですね~☆
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