■2006年 美術講演会

2006/02/01

バルビゾン芸術の歴史と遺産 - 井出洋一郎氏

先週の土曜日(1/28)に、ブリヂストン美術館の
土曜講座で東京純心女子大学の井出教授による

 『バルビゾン芸術の歴史と遺産』

を拝聴して参りました。当日は、横浜でランチ時に
通訳のお仕事を済ましていらした友人のまゆりんさん
とご一緒に参加したのですが、いつになく満席で
後ろの方に座ったら前の人の頭で、首を横にしない
とスクリーンが見えないという悲惨な事態だったので、
今度は早めに行って前に座らないとッ!!と思った
のでした。

バルビゾン派というとルソー、ミレーとかコローなど
どちらかというと暗い色調の風景画が多いですよね。
今回、井出先生のお話を伺って、バルビゾン派の
成り立ちとそれから印象派に繋がるお話を沢山の
画像も見せて頂きましたので、その辺りの関連性が
とてもよく分かりました。

BlueHeavenのTakさん同日の講演会へ行かれて
バルビゾン周辺の地図や講演内容を分かりやすく
書かれています。また、 「涙のじゃがいも物語 」の
続編もお楽しみくださ~い♪

また、井出教授のHP「ミレーとバルビゾン芸術」を
私もミレーについて調べていたら発見しまして、
ミレーの図版をご覧になれます。それに
ブログ「
blogガンヌの宿 亭主謹言」まで~(^u^)
その土曜講座の文中に。。
  「お客はどちらかいえば高齢だがよく聞いてくれるし、
   笑いの反応も早く。。。」
ってそれって私のことかしらぁ~?と噴出してしまい
ましたww

1822年、イギリスの風景画家コンスタブルが
フランスのサロンで作品を展示しました。

  constable_wain01
  《干し草車(The Hay-Wain)1821年》

 ドラクロワがその絵を観て大変感激したそうです。
  イギリスの天気はすぐに変わるので、雲が動くような
  空を描いた秀作が多いそうです。井出先生は、その
  雲に魅せられて、
コンスタブルの絵画展を新宿の
  伊勢丹美術館と山梨県立美術館でご開催する中、

  「雲だけのコーナー」を作って10点ほど展示しましたが、
  マニアックだったのかお客さんの反応はあまりなかった
  ようです。それでもその空の表情は、フランス絵画に
  大きく影響を与えたそうです。

 オランダの絵画、ライスタールなどの地平線が
  低く、空の部分が多い風景画からもフランスの
  画家達は学びました。

 19世紀に入って産業革命で鉄道の発達に伴い、一般
  の人たちも郊外で過ごすアウトドア志向になってきました。
  そこでバルビゾン派も印象派の画家たちも戸外へ出て
  描き始めるようになりました。

 1830年頃からパリの南東フォンテーヌブローの森で
   ミレーとルソーも太陽の光が朝には森に当り、夕方
   には畑の方に夕日が当る自然の美しさに魅了されて
   「ガンヌの宿屋」を拠点にして、バルビゾンの美しい
   風景画を描き続けました。

  barbizon2  「ガンヌの宿屋」

       
barbizon1 
       壁や家具などにも画家達の絵
               が残っているそうです。

 開発が進んでバルビゾン地区にも伐採が進んで
  きたので、ミレーとルソーはその地域の自然保護を
  皇帝へ訴えたこともあって、それ以来、「美観地区」
  に指定されることになり、その功績からミレーと
  ルソーの記念碑が1884年フォンテーヌブローの森の
  入口に建てられたとのことです。(井出先生のHP
  そのお写真がありました)


   
seed  《種をまく人》 1851年 
                  ジャン=フランソワ・ミレー 
                                          リトグラフ、紙
 

        dovine                        
                《田園の夕暮れの印象》
                   カール=ピエール・ドービニー
                             油彩、カンヴァス

  アメリカ人はプロテスタントが多いので、ミレー
    の農民画に宗教的な意味合いを求めたのか
    ミレーの絵がよく売れたそうです。フランスでは
    「じゃがいも」を描くことは貧乏臭く見えるし、社会主義
    を誇張しているかのようにも見えると賛否両論だった
    との初めて知るお話を伺いました。じゃがいもは飢饉
    の時の食べ物という位、当時はフランスではあまり
    食卓に上がらなかったからだそうです。  《晩鐘》も
    アメリカ人のコレクターからの依頼で描いたので、
    55万フランの高値が付いたとのことです。
  しかし、あまりに世界的に有名な絵になってしま
  ったので、フランスで買い戻しオルセー美術館に
    現在は展示してあるとのことでした。

  1875年1月にミレーは亡くなりますが、最晩年に
     描いた絵は、部屋から窓の外の景色が印象派
    
の描き方そのものだったということです。もう少し
     長生きしていたら、印象派の様式に移って行った
     のではと思わせるほどその部分は大変明るく描か
     れていました。

 そのほか、ルソーの木の葉を一枚一枚、丁寧に
  描いた森の絵を何枚かご紹介していただき、コロー、
  クールベと続きました。クールベは個性的だったせいか、
  ミレーからもあまり好まれていなかったようですが、ミレー
  の農民画やルソーの影響が強く、二人の絵を観ることで、
  自然/写実主義としての力量も上がってきたそうです。

 1865-67年頃はいよいよバジール、モネ、クールベ
  達もフォーンテーヌブローの森で風景を描くようになり
  ます。バジールは南仏のモンペリエで色彩が鮮やか
  な風景画を描きますが、普仏戦争で若くして戦死
  してしまい、長生きしていたらモネやルノワールより
  も風景画は良かったかと思われるほどでした。

 モネや印象派の画家達は、光を求めてバルビゾンより
  東に流れているロワール川辺りで絵を描くようになります。
  最初のモネの《積みわら》は、 ミレーやルソー風に農村で
  夕日を浴びるようにして描かれています。これは光が当る
  モチーフとして描き始める最初の作品となりました。                          

 ルノワールでさえ初期の作品《森の空き地》では、
  ルソーやミレーやクールベの影響が見て取れる
  風景画でした。

 ピサロもミレーの農村画を尊敬していて、《座る農婦》
  はミレーの構図のように描かれています。

 シスレーにおいても野外で描くバルビゾン派のミレー派
  に属しているそうです。

 その後に続くゴーギャン、ゴッホなども基本的にこの
 バルビゾン派から豊かな栄養を吸収しているとのこと。。
  ここで終了でした。ここから先もお聞きしたいですね!

 途中で止めようかと思いましたが、メモを見て思い出しつつ
  書いてみました。このように、バルビゾン派から印象派への
  流れは着々とフォーンテーヌブローの森の奥で系統だって
  実践され受け継がれていったようです。井出先生、貴重な
  情報を沢山ご教授くださいましてありがとうございました。

 注: 今週の土曜講座「レンブラント、フェルメールの時代」
         のチケットはもう完売になったそうです。

 追記: まゆりんさんとその後、ティールームでお話したのですが。。

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2006/01/29

記念講演会 「私とバーク・コレクション」 村瀬実恵子 氏

   

先日、観に行きました
   「

ニューヨーク・バーク・コレクション展
ですが、日本美術の素晴しさに感動したので
また、もう2,3度観に行きたいと思って
いましたら、本日はその美術展に関する
記念講演会が東京都美術館で午後2時から
あるというので、午後1時からの整理券に
並ぶために早めに家を出ました。

           berk

整理券は80番で無事に受け取ると、まだ時間が
あるので展覧会場で絵を観ることにしました。
      

warabe

講師は、メトロポリタン美術館東洋部特別顧問 
をしていらっしゃいます村瀬実恵子 氏でした。
村瀬氏は
1962年から96年までコロンビア大学で
教鞭をとっておられました。米国における日本
美術研究者育成及び日本美術に対する理解増進
に貢献されていました。そして、コロンビア大学
ご退職後
96年以降は、メトロポリタン美術館特別
顧問として日本美術に関する展示を企画、実施し、
日本美術・文化の発信に大きな役割を果たされて
いらっしゃいます。

《笛吹地蔵図》
狩野探幽                  
江戸時代 (部分)

以前に英語をお習いしていたシスターと同じように
お人柄も柔和でマリア様のような包容力のある女性
のようにお見受けいたしました。
シスターも長い間、NYに住まわれていたので、
日本語の方が少し心元ないのですが、村瀬氏も
むしろ英語の方がお話がしやすかったかもしれ
ませんが、私はアカデミックな年配の女性のお話を
お聞きするのが大好きです。

お話もメアリー・バーク女史との40年間に亘る
美術コレクションの裏話を話していただいて
大変興味深く拝聴できました。図版と共にお話
下さったことを書いて見たいと思いますので
少し長くなりますが、ご興味がおありの方だけでも
お読みくださいませ。図版は図録からで、大体、
部分にカットしました。それにしても、40年以上も
コレクターの方のアドバイザーとして村瀬氏の存在
なくしてはこれだけの名画を蒐められなかったかと
思うとなんて、偉大な方!!とご尊敬申し上げます。

最初に村瀬氏は、
「日本美術は、ガラスのケースに入っていることが
  多いので、遠い感じをお持ちになられるかと思いま
  す。私がメアリーさんと40年間のお付き合い
  の中で、コレクションについての裏話などお話し
  して今回の作品をもっと身近なものに感じていた
  だきたいのです。」
と、述べられたので、これから面白そうなお話が
始まりそうで楽しみになってきました。

村瀬氏がコロンビア大学で始めて助教授になった
1963年~4年の間に、大学院のセミナーを
受け持つようになり、そのときに、突然、コロンビア大学

で修士号を取られたメアリーさんが
「日本美術のセミナーを受けたい。」と入ってこられました。
そのとき、メアリーさんは源氏物語の画像をもっていて、
「見当がつかないことがある。」と聞かれたので
「それでは、その源氏物語をテーマにセミナーを受けて
見てください。」と言って一学期のセミナー受講を許可
したのが始まりだったそうです。

そのセミナー終了後に、村瀬氏はいつも夏休みは
3ヶ月ほど日本で過ごすのですが、メアリーさんも
一緒に日本に行って、美術商を紹介して欲しい、と
頼まれました。そして、何人か業者の人を紹介して
どう反応するかと思っていましたら、最初から『曼荼羅』
に興味を持たれたということです。まだ文化庁から輸出
許可が出ていませんでしたので購入できなかったそう
ですが、後にその一枚が重要文化財になったそうです。
その後に購入したのか、下記と同じような図版でした。
村瀬氏は「本格的で地味な作品に目をつける方」と
不思議な思いがしたそうです。

             seiryuken 《清滝権現像》
                              鎌倉-南北朝時代(14世紀)

業者さん達からも
「メアリーさんは本当の貴婦人ですね。
  値切りを全くしませんから。。」
という程、1960年代の海外から買い付け
に来る人たちはみんな値切っていたということです。
それだけ、アメリカでは古い一族で、英国から
17世紀に移住した時の名家の一人だったそうで、
最初にそれを知ったときは驚いたそうです。

(ロバート・R・リビングストン氏(Robert R Livingstone,
1746~1813)は米国「独立宣言起草委員会」の
メンバーの一人で、独立宣言の時にサインをした方で
メアリーさんの母方の祖にあたるそうです。)

NYのマンハッタンから車で45分位行った海岸沿いの
オイスター・ベイに家を作ろうとしていたので、日本庭園
も造りたいので、日本へ行って観てみたい、と頼まれた
そうです。そこで、日本では吉村順三氏をご紹介して、
氏のご案内で日本庭園をグルッと観てきたそうです。
そして、「日本に恋をした!」と大層喜ばれたそうです。
お庭を造っている最中に、ジャクソン・バーク氏とご結婚

されました。

そのご主人の健康があまり良くないためにフロリダに
別荘を建てて、その地域の友人から浮世絵を70点も
購入したそうです。その頃、1964年位から日本美術
コレクターとしての第一歩が始まりました。そして、
1965年頃、ご主人がそのコレクションの保管を
する為に、NYのアパートに展示する基礎造りを始めました。
1000点ほどあったので、展示コーナーや倉庫などを
アパート内に造ったそうです。

「メアリーさんは直感でいい物に反応する」ので、工芸品
については造形的に面白い作品を一度に6,7点も購入
したそうです。その頃から業者がNYへ来るように
なりました。若冲の作品もその頃、購入したそうです。

      tsuru 《伊藤若冲》
     双鶴図 江戸時代(1795年)

  一つの作品との出合いも面白いお話があった
のですが、村瀬氏がマディソン・アヴェニューで
食事をしていて帰り際にほろ酔い気分で、古い
美術商の前を通ると、鎧戸のような戸の小窓から
とてもお顔立ちのよい観音様のお顔が見えたの
ですが、酔っているので翌日メアリーさんに話して
ご主人と3人でそのお店に行くと、下記の仏像が
あってすぐに購入しましょう!ということになり若い
男性をヘルプで呼んで、手押し車に紐で縛って
自宅まで運んでいったそうです。村瀬さんは
「あまり一緒には着いていけない感じなので、
  用があります。」と言って立ち会わなかったほど
面白い光景だったようですね。この仏像は、今でも
大変人気があるようです。私も最初、観た時、観て
いると安心するような柔らかな包み込まれるような
オーラを感じました。

     tenbu天部形立像》
                平安時代(10世紀後半)

ご主人は室町時代の水墨画がお好きだったので
その頃、お値段もお安かったために、沢山入手
されたそうです。特に、描かれていない空間の美しさ
に3人は魅せられたとのことです。

     gan 《芦雁図》
                  室町時代(14世紀後期)

村瀬氏は夏休みに3ヶ月間、日本に帰って美術品
をスライドに撮っては、NYに持って返り値段などを
知らせました。そのとき、ゼロを一つ落として伝え
てしまって、後で大騒ぎになったこともあったそうです。

友人や先生達が助けてくれて、美術品をいろいろと
購入することができたそうです。辻憔雄先生からも
「いいのがあるけど?」と連絡していただいて、購入
することができたのが、皆さんが大好きなこちらの作品
でした。

   ishibadhizu 《石橋図》
                
曾我蕭白
                江戸時代 (1779年)

 母親が子供のライオンを谷底に突き落として
  駆け上った者だけを育てる、という凄まじい
  構図の絵ですね。

しかし、アメリカ人は人物画が入っていたり
水墨画に色彩がついている作品には当初、中々
購入することはしなかったそうで、その辺の
説得が長くかかってご苦労されたとのことです。
ご主人はOKしてくださったのですが、メアリーさん
はなかなかYESとは言って頂けなかったそうです。
それでも、なんとしても購入していただきたいと
村瀬氏が主張されていたのが次の2点です。

   reisai
    《豊干・寒山拾得図》 霊彩
     室町時代(15世紀初期)

   崖の下からモクモクと怪しげな雲が出て
      いて、全体的な奇妙な感じですが、
      「右側の岩の下には虎が描かれていて、
    これはペットみたいなものです。」なんて
      どうにか一年半かけてやっとメアリーさん
      からYESを頂いたそうです。本当に少し
      怖い位、霊界のような作品ですが、とても
      珍しく貴重な作品なのでしょうね・・・。

1975年に、メトロポリタン美術館において、
個人コレクション所蔵の日本美術を展示する話が
持ち上がりました。村瀬さんは始めは110点の
展示品の図録を書いてGuest Curatorのような
お手伝いをされたそうです。
日本へ美術品を購入してから10年間で、バーク・
コレクションの作品の中核が蒐まったことになりました。
しかし、その年の10月のオープンに間に合わずに、
5月にご主人が亡くなられてしまいました。一時は
悲しみに沈んでいたメアリーさんですが、その後、
コレクターとして自立していく覚悟をして起ち上がり、
いろいろとお買いになって、
展示する時は結局、
120点に増えたそうです。

1975年のメトロポリタン美術館の展覧会の後に
ミネアポリス、シアトルと巡回していきました。 
そのシアトルの時に、メアリーさんの従姉妹の
お家でパーティに呼ばれると、薄暗い所に日本画
らしき絵が飾ってあり、よく観てみると大変よい
作品である、と伝えた所、それは従姉妹のお婆様
の時代に日本人からプレゼントしてくださったそう
ですが、そんなに大事な作品なら自分が持っている
よりメアリーさんに寄付した方がいいということで、
初めて作品を寄贈していただいたとのお話でした。
それがこちらの作品です。

        byakui  《白衣観音図》
                                 室町時代(15世紀初期)

コレクションを始めて20年目の1985年に、
東京国立博物館から始めて一年間、日本中
をバーク・コレクションの作品を巡回ました。

1944年バージニア州立美術館で、今までに
見せたことのない作品を展示するように
なりました。縄文土器や埴輪などです。
また、今回、展示している中でも非常に状態も
優れているのですが、こえ(小絵)という立て9cm
の細長い絵です。全国に玉川と名がついた川を
9つ選んで描いています。今まで、画家の中では
選ばなかった画題で、村瀬さんがNYのオークション
で競り落としたそうです。広重は酒井鶯裏が描いた
『砧の玉川』を観てヒントを得て同じような浮世絵を
彫ったのではないか、とのことでした。この玉川
シリーズは本当に目が覚めるように美しかったですね!

   tamagawa 『砧の玉川』
                                             酒井鶯裏
                                             江戸時代(1839年頃)

        《飛天》平安時代後期の作品が2点が
         加わりました。最初はドイツに一点、
         寄贈されていたそうですが日本へ返却
    されました。
 

                   hiten

村瀬氏は、30年間勤めたコロンビア大学を引退されると
メトロポリタン美術館に呼ばれて、もう一回、展覧会を
する運びとなりました。2000年ー2001年にかけて、
特別会場でバーク・コレクションを166点展示するという
最大の展覧会です。

バークご夫妻はあまりセリなどしないので、村瀬氏が
NYのオークションでセリ落としたというのが以下の
《南蛮画》です。しかし、この後、
「メトロポリタン美術館の職員はセリなどしては
 いけない規則になっています。」と怒られて
しまったそうです。この作品は観ていて楽しい
ので、私も大好きです!

          nanban《南蛮屏風》
                         右隻部分

         

     5-10《十牛図》
                                        鎌倉時代 (1278年)            

日本の業者が来て立ち上がる時に、バックの
ケースからこの絵の写真の端っこが見えたので
村瀬さんがそれを目ざとく見つけて、こんな
「面白い大和絵を紹介してくれないとは・・!」と
業者さんに言って購入されたというお話でした。
牛を追いかける善の悟り絵で10話まで描か
れていて、漫画のようで面白かったですよね!
努力しても最後は〇だけで無が残るだけ、という
善の教えが描かれているそうです。

ogiryu

《扇流図屏風》江戸時代 (17世紀初期)
 
 パリで発見されたそうです。安部光弘氏
  (元メトロポリタン修復師)が修復して
  いる時に、裏紙をはがしたら男性の絵が
  右端に描かれていてそれがわざわざ
  消されていたとの謎が発見されたそうです。
  この屏風絵は私もとてもきれいで魅入りました。

大分、書きました。明日にかけて誤字脱字を
直して行こうと思いますので、今夜読まれた
方はご容赦くださいませ。この講演会のあと
再入場ができるとのことで、また作品を観て
参りました。説明を受けた絵はやはり愛情を
持ってみることができます。

40年間に亘る村瀬氏とメアリー氏が二人三脚で
蒐めた多くの素晴しい日本美術はこのように、
村瀬氏の審美眼と知識が多大に影響していたこと
を思うと、文化的なお仕事が双方の国の架け橋に
なっているようで素晴しいです。

*追加修正をしましたので、最初と少し文が変わっている
  かもしれませんがご了承くださいませ(*- -)(*_ _)

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