10月15日(土)は待ちに待っておりました
池上先生ご引率の学生さんたちと合同鑑賞会で、
損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の
「プラート美術の至宝展 -
フィレンツェに挑戦した都市の物語―」
に参加して参りました。前日は、Takさんご夫妻方も参加されて
生徒さんと含めて40人になったそうで、さぞや大変だったかと
思いますが、先生はただ「これは僕の楽しみでもあります。」
と謙虚に述べられ、昨日も鑑賞会後も私達とご一緒に楽しい
食事会を共にしていただきました。このような素晴らしい先生
に出会えたことはやはり、芸術を愛する者を結びつけるような
天使がいるのか、またはブログが取り持つ縁でもありましょうか。。。
外国人の方々と一緒にいるとすごく楽しい気持ちに高揚させて
くださって、その後も幸福感に包まれることがよくありますが、
池上先生も長い間の海外生活で自然に身に着かれていらっ
しゃるのか、本当にいつもご一緒していると素敵な時間を
過ごすことができます。私とご一緒に参加してくださった
「美術散歩」のとらさん、「Megurigami Niki」のMegurigamiさん、
はるばる名古屋から駆けつけてくださった「モナリザのハミガキ」
のハミガキさん、「エッセイ室」のYukoさん、会社の通訳に来て
くださってお友達になったまゆりんさんも皆様、先生の解説を
お聞きになり、すごく勉強になってよかった!と口々に述べて
感動されていたようでした。
実は、この展覧会は2回観ておりまして、よろしかったら
一回目のレポートもご覧になって下さいませ。2回目は
10月1日の都民の日に無料で実家の帰り道だったので
寄って観て参りました。
今回の鑑賞では、いろいろと細かい点も沢山教えて頂き
まして、一人で観るのとはまるで違って新たに絵を観るとき
の着眼点を教えていただきました。メモを正しく取れているか
どうかはまた、先生に後ほどチェックを入れていただくとして、
まずは。。
プラート(公式イタリア・サイト)は、フィレンチェから
ミラノ方面に向かう電車に乗っても10分位の所に位置
しています。毛織物でも有名で昔からオランダ・ベルギー
などから羊毛を買い付けに商人が出入りしていた繊維産地
としても盛んな商業地域だったそうです。また、イタリア語で
プラートというのは「牧草」という意味だそうです。
イタリアでも唯一の中国人街があり、手先の器用な中国人
が主に、毛皮製品の靴とかバックなどを製造しています。
ブランド品で有名なFerragamo の製品も今でもプラートで
製造されているとのことです。
15, 6世紀のプラートは、その繊維で財政的には潤って
いたそうですが、政治的にも宗教的にも独立して、
都市になりたいとの願望が強くありました。
司祭(ミサをする人)を持つ教会を設立することが
いかに宗教的にも政治的にも大変だったかを
知りました。先生は一旦ぐるっと生徒さんと私達を
引率されて解説をされ、もう一度私達(大人組み)
にも主だった絵画を説明してくださいました。
イタリア・ルネサンス美術論
プロと・ルネサンス美術から
バロック美術へ
関根秀一 (編)
池上英洋 (著)他10名
上記、先生のご本を今回、
プレゼントしてくださいました。
あまり在庫もないようですので、イタリア美術に興味を
持ち始めたので、プレゼントしていただいて本当に
嬉しかったです。こちらの本からも今回少し、引用させて
頂きます。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は前回とちょっと
違って先生が説明してくださった絵を掲載したいと思います。
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アニュロ・ガッディ作
《聖母子》
キリスト美術では大事なジョット様式
を築いたフィレンチェの画家、ジョット。
タッデオ・ガッディがそのジョッド様式を
受け継ぎ、またその父の元で修行を
した息子のアニュロにもこの聖母子像
の母と息子(イエス)や手を添える位置
と構図などが同じように伝承され描かれ
ているそうです。
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ストラウスの聖母子の画家 トンマーゾ・ディ・ピエロ
接吻碑 《ピエタのキリスト像》 《天使に抱き支えられた
1390年推定 ピエタのキリスト》
1526年頃
左側は、キリストが寝たままで描かれているので、傷痕の
跡がはっきりとしませんが、右側では天使に抱きかかえる
ようにしているので、傷痕が両手とわき腹の3ヶ所が見え
易く描かれるようになりました。
アンドレア・マンテーニャ
『死せるキリスト(ミラノ・ブレーラ美術館)』
1490年
傷痕の跡が5ヶ所(両手、両足とわき腹)が
はっきりとわかるように描かれています。
こちらは先生がその傷痕の見せ方の題材と
して、私達に紹介してくださいました。
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パオロ・ウッチェロ
「ヤコポーネ・ダ・トーディ」
遠近法や幾何学などを研究した
画家で、この絵も下から見上げた
構図で描いているそうです。
先生がこの方の描いた計算
された(今ならコンピュータ・
グラフィックのような)立体図を
参照させてくださいましたが、
現代の設計図のように細かく
計算しつくされていて素晴らしかったです!
天井の部分もニッチの貝殻形円蓋部分
の短縮法表現と図録では書かれています。
このフレスコ画は、祭壇の右上部にあったということで、
上を見上げて観るといい感じに観えるのかもしれませんね。
観ているとだんだんと愛着が湧いてくる不思議な絵ですね!
ウッチェロさんのほかの作品も現実離れしているので、
どうもシュールレアリズムの原点がこの画家の様式だった、
という解説もあって、ルネッサンス期には現在にも通じる
絵画の基礎が宝庫のようにあったようです。
本当に少し調べるだけでも現在に通じて大変興味深いです。
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《聖ユリアヌスをともなう受胎告知》
フィリップ・リッポとフラ・ディマンテ
受胎告知は、一般的に聖母マリアと天使ガブリエルのみ
描かれていますが、この作品では天使ガブリエルの後ろに
聖ユリアヌスが立っています。聖ユリアヌスは巡礼者の
守護聖人です。また、この作品はプラートの宿屋主の依頼
で制作されたので、その巡礼者達や旅人を見守る聖人を
描いたのではないか、と言うことです。そして、背景部分が
遠近法で描かれていて、当時、フランドル地方との商業や
文化などの交流がプラートでは盛んだったので、この作品
でもフランドル絵画の影響を受けていたことがこの室内の
描き方から分かるそうです。
詳しくは、先生のblog記事でご覧下さいませ。
また、リッピの工房で、その弟子の一人がこの作品をコピー
したような作品が隣りに展示してありまして、その両方を比較
してみても技量が違うことも先生の解説で詳しく聞くことが
でき、とても参考になりました。まずは、板の厚みが横から
見てもリッピの方が4~5cm程厚みがあり、お弟子さんの
方は半分程でしたでしょうか?そして、遠近法にしても奥の
窓から差す光の陰の付け方がリッピの場合は自然な陰の
描き方をしているので奥行き感がでています。そして、
お弟子さんは衣服の模様や襞などをはっきりと描いている
けれど、リッピはそれほど柄など描いていないにも関わらず、
衣服の質感が良く分かるなど技量の差がこのようなところ
でもご専門家の目ではお分かりになるそうですからすごい
ですよね!そして、ご一緒に観ていた「美術散歩」のとらさん
が「リッピは後ろに行くほど暗く描いているので遠近感がよく
分かるが、お弟子さんは全体的に明るさが同じようで遠近が
はっきりとしない。」とおっしゃっられていました。
私もリッピの描くお顔は断然、品があって素敵だと思います!
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《聖母子と幼き洗礼者ヨハネ》
ラッファエリーノ・デル・ガルボ
最初に観たときからこの絵の
崇高さには溜息がでるほどでしたが、
先生がおっしゃるには、「ラファエル
やレオナルドと同じ位、絵としても
技術的にも美しく高い評価のできる
作品である。このような丸の中に△の
構図を入れて描くのは大変難しい。
何よりも色がいいし背景の自然も
よく描かれている。かなり財力のある
個人宅でお祝いのために描かれた絵
なので、外にでることがなくて一般に
知られてこなく残念で ある。
聖母マリア様の右肩裏辺りに描かれている小さな塔のような住宅も
ちょっとした宇宙を想像したような遊び心が描かれていて面白い!」
としばし、この絵の前では離れることができなくて、みんなで見入って
おりました。
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《聖フランチェスコ、聖マルコ、聖女アキラ、
アレキサンドリアの聖女カタリナをともなう
聖母子》 ルカ・シニュレッリとその工房
このトンドは上記、ガルボのトンドの右前に展示して
ありました。あまり構図的にも良くなくて、天使を踏み
つけている絵もおかしな感じがしますね!丸の中に
絵を描きいれることの難しさのお手本のような作品
ですね。ただ、赤ちゃん(イエス)の動きが大きな
身振りをして、先生もその辺は野心的な絵であると
解説されていました。この絵で評価してよい点は
手前に描かれているリボンの形です。この形は何か
の象徴のようでしたが、このように美しく描いて作者の
技量を示しているそうです。リボンの下には、車輪が
台座していますが、これは処刑をするときに当時は
ハデに処刑することが喜ばれたため車輪が使われた
そうですが、 それを描いているそうです。ちょっと
全体的に不気味ですね~(┰_┰)
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《聖フィリッポ・ネーリの幻視》
オラツィオ・フィダーニ
プラートの祈願であった
「都市(チッタ)」に1653年に
晴れて認可されることになり、
その時の喜びを描いている作品です。
1653年1月4日に民衆と聖職者と
名士たちが催したきらびやかな行列と
初代、ジョヴァンニ・ジェリーニ司教
が大聖堂に正式に入る模様が
左下の方に描かれています。
そして、この司教が喜びのポーズ
を取っていますが、これを「オランス」
と称され、初期キリスト教のカタコンベと同じようなポーズに描いて
いるそうです。街中が独立して一都市になったことを喜び、
晴れやかな気持ちが伝わってくるような歴史的にも記念すべき
作品ですね。
最後にそのプラートの聖遺物の聖帯はこの写真内
では一番上に掲載されています。左下が、サント・ステファノ
聖堂です。上記のとおり司教座聖堂(大聖堂)と
なることが許可されたのが1653年ですが、今でも
その聖帯が降誕祭、復活祭、 聖母被昇天の祝日
(8月15日)、聖母誕生の祝日(9月8日)には、プラート
大聖堂の南西の角に設置されたドナッテロと
ミケロッツォの説教壇から右上のとおりに顕示されます。
聖帯はプラートの都市の誇りとして、今も市民の篤い
信仰を集めているそうです。
(図録より)
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イタリアの小都市プラートの歩んだ歴史をこの展覧会
を通して、池上先生の解説と共に学ぶことができました。
急用ができたり風邪を引かれて参加できなかった方々は
とても残念に思います。23日(日)に東京での展覧会も
終了して、岐阜と広島へこれから巡回するそうです。
なかなか触れることができない中世のイタリアの小都市が
どれほどキリスト文化を大切に感じてきたかということや、
美しい芸術作品から宗教の持つ暖かさや尊さや厳しさと
いうものが少しでも感じ取れたらとっても素敵な文化交流
ができるのではないかしら?と思います。それは心の中に
何か信仰心というヨーロッパの人たちの篤い心意気を
感じ取ることができて、これから、小説や映画やドラマを
観るとしてもそのことが理解できるかどうかで深く物事を
解釈できるかということにも繋がってくると思います。
この展覧会を開催してくださった関係者の皆様や池上
先生の素晴らしい解説とご一緒に鑑賞会で過ごして
下さった生徒さんと私の大事なbloggerの皆様にも心より
感謝申し上げます。
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