Raphael Santi - Christmas No.13
以前、クリスマス・カードはラファエルの「大光の聖母」
を使っていたことを思い出して、そう言えば、あまり
いままで、ラファエル・サンティについて詳しく調べた
ことがなかったので、本日はラファエルの聖母子像を
中心に図版も含めてご紹介したいと思います。少々、
部分が多いのですがご容赦くださいませ。
図版は、「ルネサンス街道」、「ANGELS」などから
取らせていただきました。参考文献は同じく
「ルネサンス街道」から引用させていただきました。
1483年4月6日に生まれて、 1520年4月6日のお誕生日
と同日に、発熱してわずか37歳で没してしまったラファエロ
の人生は華麗なエリート画家の道を歩んだようですね。
22歳の時、故郷ウルビーノからフィレンチェに出てきて
当時53歳のレオナルドと30歳のミケランジェロの二人の
巨匠の作品を観て、ただ圧倒されたとのことです。
《小椅子の聖母》
1514年 (部分)
特に、レオナルドの「モナ・リザ」を観たときは、何としても
あの絵の不思議な魅力に迫りたいと、レオナルド独特の
技法や構図やあらゆる技術を吸収し、いくつもの肖像画
を描くのですが、レオナルドの芸術の崇高さには及びま
せんでした。若きラファエロは悩みぬいた末のテーマが
聖母子像で、わが子に愛情を注ぐ母親としてのマリア
でした。30点近い聖母子像を残しましたが、その約半数
がフィレンツェ時代の4年間に描かれたものです。
ラファエロは、幼くして母を亡くしましたが、その面影を
追うかのように、情愛に満ちた微笑の聖母を描くことで
彼自身の「モナ・リザ」を見つけたようです。
レオ十世は、職人気質のミケランジェロとは気が
合わず、自分と同じ優雅と豪奢を好み、上流階級
の香りを漂わせる好男子のラファエロを好み、また
教皇のみならず多くのパトロンを魅了しました。
次々と舞い込む注文を工房を率いて精力的にこな
していき、教皇からの依頼で「ボルゴの火炎の間」
の壁画も、素描や下絵を弟子に渡せば、自分は
絵筆を持たずとも作品は完成しました。
《ボルゴの火炎》 1514年 壁画・フレスコ画
豪邸での生活は、王侯貴族顔負けでした。
外出すれば、弟子や女たちなど、50人もの
供を連れて町を練り歩く姿は市民の羨望の
的となりました。
《サン・シストの聖母》1512-14年(部分)
レオナルドやミケランジェロのように職人気質が
強くなくて人当たりがよいラファエロは皇室からも
気に入られて、ルネサンス巨匠の3人の内でも
もっとも幸せな画家生活を送ったのかもしれません。
しかし、その栄華はあまりにも短くて、女性好きと
いうのに災いしてか、急な発熱が原因で時代の
寵児は、37回目の誕生日を迎えたその日に生涯
を閉じてしまいました。彼の死を悼む人々は、口々
にささやき合ったそうです。
「ラファエロの死は、才能に嫉妬した神々のせいだ」
と___。
下のエンジェルはなんとなくラファエルの自画像と
似ていると思いませんか?私もお付き合いをする
なら三人の内でラファエロが一番良さそうに思い
ますが、芸術的な軍配はやっぱりレオナルドかしら?
と欲張ったことを考えております。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント