「月々の図」ブリューゲル-暗さの文化論 No.3
Seedsbookさんが素晴らしい
「空からの挨拶記念写真集」
を掲載して下さって、帰宅早々、大興奮して
おりましたが、またまた、そのヨーロッパの空
に関連する話題で、「徒然なるままに」のak96様が
「ブリューゲル「雪中の狩人たち」と小氷河期」と
題して、「フランスに揺られて」のPaul様の
「ブリューゲル - 古気候学」
の記事と拙記事を繋げて下さり、さらにヨーロッパ
の気候とそれに関連する絵を詳細に渡って解説して
下さった記事を拝読をさせていただいて今日は、まるで
ヨーロッパの空の下にいるような気分で高揚しっぱ
なしであります。
そのak96様の記事に、このような質問が書かれていました。
6月にウィ-ン美術史博物館を訪れた時のブリューゲルの
部屋の感動を思い出す。(あまり確かでないが)世界で
始めて雪景色を描いた絵画と説明があった記憶がある。
3部作だったと思い返し、カタログを読み返すと、現存する
5つの作品のうち、3つの作品がウィ-ン美術史博物館に
展示されているとのこと。雪に触発されて、この連作を
書き出したのか気になってきた。Wiki Pedia英語版によれば、
中略
という順に作品リストがあった。ということは、雪景色から
書き始めた連作だったのだろうか。どなたかご存知なら
ご教授願いたい。
それに回答するには、乾 正雄氏の本
「夜は暗くてはいけないのか-暗さの文化論」
から「寒かったブリューゲルの時代」の章に書かれていた
ことを抜粋してみますが、作者も確実には分かっては
いないようです。
順序として、まず白いことを取り上げよう。
今でこそ、われわれは雪景色の絵を珍しいとは思わないが、
この絵以前には、雪景色は書籍の挿絵に描かれる程度だった。
1565年と記されている、117x162センチと大きなこの
絵は、もっとも早い時期の本格的な雪景色の絵に属する。
ウィーンのたくさんの絵の中で、白いことが目立つわけだ。
この絵は、アントヴェルペンの富裕な商人の邸宅に飾られた
「月々の図」の中の一枚だそうだ。「月々の図」のシリーズ
が12枚だったのか、2ヶ月ずづを一枚に描いた6枚だったの
かは議論が分かれるが、最近は6枚説が有力らしい。現存
しているのはウィーンに3つ、ニューヨークに1つ、
プラーハに1つの合計5枚しかなく、7枚も失われたとする
よりも、一枚だけなくなったとする方が自然だからであろうか。
それよりも、この雪景色が何月のものかは問題である。これには
年末説から、1月説、2月説、1・2月説まであるが、感覚的に
は、1月か2月がぴったりだ。ただし、私が最後にウィーンの
美術史美術館へいったときのこの絵の説明には、
「全シリーズの中で、この絵は、以前考えられていたように
最初のものではなく、最後のものである。狩人たちは手前から
入り、鑑賞者から遠方へ歩み去る。一年は終わったのである」
とあった。これは、この絵が「12月」だといっているのだろう。
しかし、それにしてはこの景色は寒々としている。寒い国の雪は
早いし、私自身のささやかな経験でもベルリンで11月始めに
30センチも積もる大雪にあったことがある。しかし、
そういうときの人々が「早すぎるよ」と言ってあわてふためく様子
と、この絵のように、用意万端整って今まさに人々が真冬を雪の
下ですごしているという情景とは違う。私は歳が明けてからの絵と
見る説の肩をもちたいように思う。
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