「ハイチ革命の栄光と悲惨」 - ルネ・ドゥペストル氏講演 (ラジオ講座)
『History of Black People』
ジャン=ミッシェル・バスキア
(淀川氏のパスキア論)
平日もできたら仕事帰りに1,2回はどこか
美術館かフランス語を習いたいと思うのですが、
今週から来月初旬までとても忙しくて・・・。いろ
いろと講演会や勉強会にも参加できなくて辛い
所ですが、週末まであと一日!頑張りましょう!
お昼休みに、「NHKラジオ フランス語講座」の
1月号を読んでいると応用編の方で、興味深い
内容のテキストが書かれていました。もちろん、
応用編ですから(入門編でも)日本語しかわから
ないのですが、いつも後半の日本語訳ばかり
読んでしまいます(^_^;) 今回、講演の内容が
2か月分まとまって掲載しておりまして、題名は、
~最初の黒人共和国ハイチの誕生~
「ハイチ革命の栄光と悲惨」
ルネ・ドゥペストル氏の講演から
7,8年前、知り合いの人がアメリカ人男性と
結婚され、ハイチに新婚旅行へ行って、現地
のホテルなどでサービスしてくれる現地の若い
人たちがとても暗い表情をしていた、と明るい
南国の島なのにどうしてかしら?と思ったそう
ですが、私もそのときはよく分かりませんでしたが
このドゥペストル氏のお話を読んでいてハイチの
歴史が大変良くわかりました。今日もフランス語の
クラスへ行けなかったので、単語レベルだけでも
概略に書き加えていきたいと思います。
ルネ・ドゥペストル氏は1926年、ハイチ共和国に
生まれた詩人・小説家・エッセイストです。2004年
は、氏の祖国ハイチが世界で最初の黒人共和国
として独立して200周年目の節目にあたる年です。
これは東京日仏会館で行った講演を録音したもの
だそうです。概要だけ追ってみたいと思います。
+++
17世紀にフランスの植民地サン=ドマングとして
スタートしたハイチは、フランス革命が起こって
旧体制が崩壊すると、新しく樹立された共和国
の理念(基本的人権)が植民地においても適応
されるよう要求してたちあがります。そのとき
現れたのが黒人の将軍トゥッサン・ルーヴェル
チュールです。長い戦いの後、1804年に世界
史上初めての黒人共和国が実現します。
insurrection 反乱、蜂起
humanite' 人類
esclavage 奴隷制度
affranchi 解放された、解放奴隷(n)
homme exceptionnel 傑出した男
e've'nementhistorique 歴史的事件
1794年2月の国民公会ではグレゴワール神父、
ロベスピエール、コンドルセ、マラー、サン=ジュスト
といった人々が奴隷解放を支持しました。しかし、
やがて台頭してきたナポレオンがすべてをひっくり
返したのです。
Convention nationale (1792-1795) 国民公会
gouverneur (植民地の)総督
libe'rateru 解放者
pre'juge' 偏見
l’Assemble'e nationale 国民議会
liberte' d'expression 表現の自由
ナポレオンによって捕らえられたトゥッサン・
ルーヴェルチュールはヨーロッパまで連れて
こられ、ジュラ山中のジュー要塞の囚人と
して1803年4月7日に生涯を閉じます。しかし
彼の遺志はデサリーヌ、ペティオン、クリストフ
といったかつて部下だった将軍達に受け継がれ、
サン=ドマングは1804年1月1日独立してハイチ
という名前に変わります。
de'porter 強制収容所へ送る
rigueur 厳しさ; 厳しい状況 (態度)
avoir raison de.. ・・・に打ち勝つ
chagrin 悲しみ、 悲嘆
capitulation 降伏
soule'vement 蜂起
impitoyable 過酷な、容赦ない
ハイチには大別して「白人」「混血種」「黒人」
という三つの社会構成グループが存在し、
それぞれの間で確執があり、戦いがありました。
「混血種」というカテゴリーは、皮膚の色の微妙
なニュアンスにより、実に沢山の名称が存在し
細分化されています。そこにハイチ社会独特
の様相があり、革命にも影を落としているの
です。
mula^tre ムラート: 白人男性と黒人女性間に
生まれた子
me'tis メティス: 白人男性とカルテロン
(=白人男性とムラート女性の子)
女性との間に生まれた子
e'pidermique 皮膚の、肌の色の
octavon 黒人の血が1/8の混血種
quarteron カルテロン: 黒人の血が1/4の混血種
mameluk マムルーク: 白人男性とメティス女性
との間に生まれた子
marabout カルテロン男性と白人女性との間に
生まれた子
sacatra 黒人男性とグリフォン (=黒人とムラート
との子)女性との間に生まれた子
世界史の流れに逆らうかのようにして独立を達成した
ハイチは、20世紀後半になって植民地解体が現実の
ものになったとき、その先駆性をもてはやされましたが、
独立革命200周年を迎えた今日なお低迷を続け、800万人
に及ぶ国民は政情不安と貧窮にあえいでいます。
de'tresse 悲嘆、苦悩;困窮、 窮乏
male'fique 不吉な
de'sastre 災難; 破綻
naufrage 難破; 破滅的事態
ドゥペストル氏はフランス政府の要請で、2004年5月、
45年ぶりの里帰りを果たします。滞在は24時間という
ごく短いものでしたが、祖国の無惨な変貌、目を覆わん
ばかりの窮乏に唖然とします。
aggravation 悪化
ordure ごみ、汚物
e'preuve 試練
a' vie 一生、終身
長くなりました。。ハイチという国が初めて独立した
黒人共和国でその後も人種間の違い(肌の色)から
なかなか政策も統一せず、内戦が続いて貧困状態
から脱していないなど。。あまり知らずにおりました。
上記のように、新婚旅行へ行った友人が現地の
人たちがなにか屈折した感じでいたのが印象に
残ったそうです、それもこのように200年の複雑な
長い歴史があったようですね。
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