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2007/09/08

薔薇の歴史を辿って・・・☆

sabato, il otto settembre 2007
sono le undici e tre quarti

       Rose
       ニューアカオ・ハーブガーデン ローズハウス

薔薇は、「香りの女王」とも呼ばれて、古今東西、愛され
私達の目を楽しませてくれるばかりでなく、古代ギリシア・
ローマ時代には、
すでに医者は薬用の薔薇の花びらや実
を病気治療に使っていたそうです。 また、古代ローマ人は
薔薇を花の冠に、香水に、入浴剤に、お菓子に、二日酔い
の薬にと、広く利用していたとのことです。   

Rose20

アロマテラピーの観点からみても興味深いのですが、
植物的な太古からの歴史を追っていくと、エジプトでは
7000年以前の遺跡から薔薇の花輪が見つかり、その後は
ローマ帝国の崩壊、ゲルマン民族の大移動、サラセン帝国
の成立、十字軍の遠征などの波によって、薔薇も各地に
運ばれていったことなどを知ると、薔薇に魅了された人類の
歴史まで辿っていけて調べていても、楽しい時間を過ごせ
ました。今日は、薔薇の歴史を追って見たいと思います。

   Seiko    Book_4_thumb_2
   イギリス 花の庭     「薔薇のパルファム

薔薇の図版と文章は、「イギリス 花の庭」からと
薔薇のパルファム」などから引用させていただきます。

以前、拙ブログでも蓬田勝之(著)「薔薇のパルファム」を
ご紹介したことがあったのですが、薔薇と人間との最初の
出合いを以下に、再引用させて頂きます。


☆薔薇の香りをかぐ女神☆

 薔薇と人間のただならぬ関係が始まったのは、
紀元前5000年ころのメソポタミア文明からだと
考えられる。メソポタミア文明はシュメール人が
作り上げたが、北部の山地に住んでいたアッカド人
によって統一国家が生まれ、バビロニア王国へと
続いていく。
 シュメールの英雄ギルガメッシュを描いた
ギルガメッシュの叙情詩』は、紀元前2000年半ばに
バビロニアのメソポタミア統一を背景として、あちこちで
語られていたギルガメッシュを主人公とする逸話を
まとめたものである。シュメール人が発明したくさび形
文字を刻んだ粘土板は何枚も発明されているが、
その中の一枚であるK2252とナンバーが打たれた粘土板
の左上から5行目には、「薔薇は永遠の命・・・・」と記され
ている。       
   

   Megami_thumb_2

*古代人が嗅いだ薔薇はガリカ*

 「花の香りを嗅ぐ女神」が手に持つ薔薇は、ロサ・ガリカ
かロサ・ダマスセナであろう。香り成分は2つともほぼ同じ
成分組成である。香りには、生理的・心理的に働きかける
効果がある。
「花の香りを嗅ぐ女神」は特殊体質だったのではないだろうか。
ガリカやダマスセナの香りを嗅ぐと興奮し、神懸かりになり、
神と交信できる。。。イシュタルはその特殊体質によって高位
の巫女として君臨できたのではないだろうか。
そう思ってもう一度女神の像を見ると、大きく見開かれた目は、
”うっとり”と神の国を透視しているようにも見えるが、気持ちが
高揚しているようにも見える。
薔薇は、女性のイメージと深く結びついている。僕は、この
「花の香りを嗅ぐ女神」はビーナスの原型ではないかと
考えている。ローマ時代になると美と豊穣の女神
「アフロディーテ」に受け継がれ、女性の美の象徴として
「ビーナス」になっていったのではないだろうか。

  Bushdamaskshailerswhite_2    
           Blush Damask      Shailer's White

現在では、香料を採る薔薇は、ロサ・ダマスセナとセンチフォリア
の2種類です。ロサ・ダマスセナはブルガリアで栽培されて、
水蒸気蒸留によってエッセンシャルオイルを作っています。
センチフォリアは、ダマスセナの孫に当たって、南フランスの
グラースで栽培され、有機溶剤抽出によってアブソリュートオイル
を生産しています。

  Botticelli_venere00_2
   サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」

ヴィーナスの回りに舞っているのは、このセンチフォリア
の薔薇であると、蓬田氏は言及されています。センチは
「100」、フォリアは「花びら」の意味なのでで、100枚
の花びらがあるとのことで、調べてみたら本当に一つの
花に100枚以上の花びらがついているそうです。

ギリシャ文明が衰退した後に、アレキサンダーは、オリエント
は遠くインドまで制覇し、東西文明の融和に大きな役割を
果たしました。その結果、数々の植物とともに様々な品種
の薔薇もエジプトにもたらしました。

       Img_damaskrose05_2
            ロサ・ダマスセナ

次第にローマ時代が形作られ、紀元前48年、クレオパトラ
(紀元前69-30年)はシーザーからエジプトの統治を委ねらます。
それはクレオパトラが薔薇の花びらを寝室に敷き、シーザー
やアントニオなど次々とローマの英雄達を誘惑して手にした
地位だったとか。。膝の高さまで薔薇の花びらを敷いたとの
ことなので、その頃にはもうエジプト周辺では薔薇の花が
栽培されていたようですね~ぴかぴか(新しい)

最初のローマ皇帝となったアウグスチヌスの時代になると
薔薇は、日常の生活に取り入れられ、新鮮な薔薇の花を
家中に飾るために、自分で薔薇園を作ることが習慣に
なったそうです 

       Villagemaid
         Charles de Mills ガリガ系

ローマ帝国の第5代皇帝である暴君ネロ(37-69年)の
薔薇狂いは有名だそうです。黄金の宮殿で繰り広げた
晩餐会の部屋は薔薇の花で埋め尽くすほどで、天井から
薔薇の花びらをまるで土砂降りの雨のように降りかけた
そうです。ネロの妃の葬儀で使った香料は、当時の供給
していた年間量を超えて、香りは四方八方を満たしたと
とのことです。

古くは、原産地の一つである小アジアで生産されていた
薔薇をヨーロッパに広めたのは十字軍でした。パレスチナ
や小アジアに遠征した十字軍は、様々な薔薇を自国に
持ち帰り、その結果、薔薇がヨーロッパ諸国に広がり
ました。ロサ・ダマスセナ、ロサ・ガリカ、センチフォリア
などはこの時代にヨーロッパに持ち込まれました。

この頃の薔薇は、図版のとおり、花びらが多くて現在の
薔薇のような優雅さはあまりありませんが、このような
原種と呼ばれる薔薇ほど香りが素晴らしいとのことです。
現在のように、改良をしていくほど香りも飛んでしまうよう
ですね・・・。

中世に入ると、神に捧げる薔薇だけが教会や修道院で
栽培され、キリスト教の禁欲的道徳観によって、一般の
人々の薔薇の栽培は禁止されていました。キリストの血
を象徴する赤い薔薇、マリアの象徴である白い薔薇が
栽培され、毎朝、祭壇に献花されました。

   Hbot1_2 
       
サンドロ・ボッティチェリ 《春》

その後、ルネサンスによって、薔薇は再び、一般の人々の
手に戻り、この頃の東西の文化交流の波に乗って、世界的
に広まっていきました。フィレンツェのメディチ家の庭には
薔薇園が作られ、数々の薔薇が栽培されていました。それら
の品種の区別がつくほどに克明に描かれているのが、
ボッティチェリの《春》や上記の《ビーナスの誕生》です。

薔薇の栽培は飛躍的に発展し、薔薇の栽培技術の基礎が
築かれたのは19世紀でした。新種が次々と作られ、発表
されていきます。

フランスの国王・ルイ14世は「最も香しい帝王」と称され、
ルイ15世の宮廷は「香水の宮廷」と呼ばれて、その寵愛を
受けたポンパドール夫人は、画家と作曲家と同じように
調香師を待遇しました。ある年の香料の請求額は50万
ルーブル、現在の貨幣価値に直すと75億円にのぼるとか!
ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、薔薇とスミレの
香りを愛し、自分の香りと決めていて、芸術品の域まで
高めた香水瓶の工場をサンクロードの地に造りました。

   Grahamthomasmaryrose_3
         Graham Thomas              Mary Rose

庶民から吸い上げた巨万の富が薔薇に浪費され、やがて
1789年のフランス革命へと結びついていきます。

概要だけにしようかと思っていましたら、自分でも面白くて長く
書いてしまいました。薔薇シリーズとして、まだ続きます。

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コメント

凄い 素晴らしいですね 薔薇の圧倒的な魅力に酔いしれてしまいます

投稿: マルメロの陽光 | 2007/09/08 23:05

陽光さま

いつもご投稿ありがとうございます~ヾ(´ー`)ノ

昨日はさすがに夏バテでぐったりしていたのですが
薔薇の歴史を書いているうちに面白くて長くなり
ました。薔薇は太古の昔から人々を魅了し続けて
いるのですね!!

投稿: Julia | 2007/09/09 08:36

きょうJennyがページとか拝見したの?

投稿: BlogPetのJenny | 2007/09/09 15:03

お久しぶりです。
薔薇とのお付き合いが紀元前5000年からとは驚きですね。
ボッティチェリの薔薇はセンチフォリアというのですか、初めて知りました。
薔薇という文字はセンチフォリアのようですね。
皇帝ネロの話は、アルマ・タデマのヘリオガバルスの絵を思い出しました。

投稿: kyou | 2007/09/13 17:43

Kyouさん

お久しぶりです~☆
長文をご丁寧に読んでいただいて、有難うございます

>ボッティチェリの薔薇はセンチフォリアというのですか、初めて知りました。薔薇という文字はセンチフォリアのようですね。

ボッティチェリの実物の絵を観る機会があったら、じっくりと
見てみたいですね~(*'ー'*)♪ 
「薔薇」という文字を考えた人はすごいですね!じっくりと観察したかのようですね~(^_-)-☆


>皇帝ネロの話は、アルマ・タデマのヘリオガバルスの絵を思い出しました。

w(゜o゜)w ものすごく想像を現実化させたような絵で
驚きました!!天井からホースで水のように薔薇を散らした
そうで、その重さで亡くなった人もでたとかっ(~o~)
それにしても素晴らしい絵ですね!また、いつかアップさせて
くださいませ。

まだ、ナポレオン皇妃だったジョセフィーヌの薔薇への貢献を
書いていないのですが、ルドゥーテと一緒にご紹介したいと
思います。

投稿: Julia | 2007/09/13 20:28

たびたびすみません、画像を間違えて直リンになってしまいました。
いけませんよね。
「アートatドリアン」さんのアルマ・タデマにある画像です。 
http://art.pro.tok2.com/index.html
失礼しました。

投稿: kyou | 2007/09/13 23:42

Kyouさん

こちらこそ素敵な絵を教えて頂いて、
有難うございました
こういう関係がブログではとても
嬉しいですよね~ヾ(´ー`)ノ

直リンは一応、外させていただきした
後ほど、作家の絵をご紹介したいと思っています。

投稿: Julia | 2007/09/14 08:43

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