『ポンペイの輝き』@Bunkamura - 鑑賞会No.9
渋谷 Bunkamuraザ・ミュージアムで開催している
『ポンペイの輝き』展
を初日の4月28日(金)に「Visiting Tour Club」
の企画として、とらさん、Nikkiさん、すたさん(HP)と
ご一緒して参りました。(それぞれのレビューに
リンクさせて頂きました)
2000年前の遺跡をロマンを感じながら観に行きましょう!
と初日に意気揚々と鑑賞しようとしたのですが、それは大変
な間違いで、ヴェスヴィオス山から灰を被って埋没した都市
の遺品や遺骸を観ていくうちに、これはとてもひどい悲劇に
見舞われた事実として胸に迫ってくるものがありました。
昨年でしたか、いつもこちらに登場するT氏が一冊の文庫本
を下さったことがありました。それは。。
驚異の世界史 血ぬられた神話―古代地中海
文春文庫―ビジュアル版
森本 哲郎 (編集)
少し怖い題名ですが、この本は、
『NHK文化シリーズ歴史と文明 埋もれた古代都市』
から編集された本で、クレタ、ミケーネ、ポンペイの
章から構成されて、それぞれご専門家の方と森本氏が
インタビューされた形式で書かれています。そして、
『大噴火に消えた街 ポンペイAD79』の章のご専門家は、
今回のBunkamura『ポンペイの輝き』展をご監修された
国立西洋美術館館長 青柳正規氏でしたので、詳細に
亘りポンペイについて語られていて、ポンペイについては
その時からも大変興味深く感じておりました。
図版と解説は、図録とHPからご紹介させて頂きます。
Bunkamuraの会場に入った途端に中が暗くて、いつもの
雰囲気とガラッと違って何か緊張感が走り、普段のような
美術館賞ではないことを感じ取られると思います。ポンペイ
を含む周辺の4都市に分かれて構成されています。
I. エルコラーノ/Herculaneum
地中海を望む保養地エルコラーノ
かつてはギリシア神話の英雄
ヘラクレスによって築かれた都市として、
ヘラクラネウムと呼ばれていたエルコラーノ。
風光明媚なこの保養地には、ローマ貴族や
裕福層が別荘を構えていた。(HPより)
エルコラーラはヴェスヴィオス山から西へ
わずかに7kmしか離れていないために、
サージ(高温ガス)からの影響で、海に
船で逃げようとしていた300人の人たちを
襲ったそうです。そして続いて、サージと
火砕流が4回起こり、23mの火山放出物
の堆積の下に都市は埋没してしまいました。
左の美しい像が正面に設置されていて
それだけで息を呑むほどの美しい
ギリシャ彫刻のようでした。
『ヘラ像/Mable statue of Hera』
パピルス荘
(SAP inv.81595)
海岸の船倉庫内に逃げ遅れた32人の遺骸の
(大人20人、若者3人、子供2人、幼児7人)
型取りされて展示されています。これを観るだけ
で悲劇の大きさを感じて胸が詰まります。
その犠牲者が身に付けていた宝飾品なども
きれいに展示されていてその技術の高さにも
この時点で現在の宝石店を覗いているのと
同じような精巧で煌びやかな宝石に見とれて
しまうほどです。
II. オプロンティス/Oplontis
ここは、ポンペイから5キロ離れた現在の
トッレ・アンウツイィアータ市にあたるそうです。
大きなな二つの別荘が掘り起こされて、1つは
豪華な邸宅で、所有主は皇帝ネロの2番目
の妻が住んでいて、もう一つは豪商の
ルキウス・クラッシウス・テルティウスであろう
とのことです。そのテルティウス所有の別荘
には、避難者が逃げ込んだのですが、74人が
犠牲となったそうです。
見事なヘレニズム装飾された大きな金庫(幅140cm)
が展示されていました。そして、ここでの貴金属も
金製品で細かいチェーンで造られたネックレスなど
美しかったです。金とエメラルドを交互に繋いだ
首飾りが当時の流行だったようですね。
III. テルユィーニョ/Terzigno
ヴェスビィオス山の南東斜面の区域で、古代は
ポンペイの最も北側の郊外に位置していました。
ブドウ畑が広がっていたようで、畑で作業してい
た農民は火山の轟音のために恐れをなして
ポンペイに非難したり、近くの沿岸に逃げようと
したそうです。火山から近いため、第2波のサージが
起こるまで逃げなかった人々はほぼ即死し、この都市
のすべては破壊されたそうです。
《葉飾りが付いた首飾り》 金 葉の長さ1cm
テルツィーニョ 別荘2出土
1世紀半ば ポンペイ考古学監督局蔵
葉脈も描かれている金の打ち出しによる2枚1組
の槍形の葉です。とても繊細できれいな金の
ネックレスで思わず欲しくなってしまいました。
IV. ポンペイ/Pompeii
西暦79年8月24日午後1時から
始まった噴火は翌朝まで続き、建物
は破壊され、街からはあらゆる命が
消え去った。
当時、ポンペイの人口は一万人を
超え、劇場や円形競技場、公衆浴場
などが整備され、その繁栄を謳歌して
いた (HPより)
第2波のサージで逃げ惑う市民を死に
至らしめ、第3波で息絶えた町を襲い
かかり壊滅するに至りました。
《ポンペイの公共広場を望む風景》
《ヘビ形の腕輪》 金 直径10.5cm
ポンペイ 黄金の腕輪の家出土
ナポリ国立考古学博物館蔵
ジュエリーの中でも「ヘビ形の腕輪」と呼ばれる
大型の純金製腕輪は、重さ610gを超える豪華なもの。
双頭のヘビがくわえているのは月の女神セレネが
浮き彫りになったメダルで、象徴的な意味合いが
込められたものであることがわかる。(図版&解説/HPより)
この金の腕輪は特別、豪華で重そうに見えました。
610gもあるなんて男性用かと思いましたが、図録
を読むと、裕福な既婚夫人の腕にはめられていた
と推測されているそうです。そして、この見事な金
の腕輪が見つかったこともあり、『黄金の腕輪の家』
と出土された時に名づけられたそうです。この家に
住んでいた大人二人と子供二人の家族の型取りも
展示されていて、その子供の小さな体が痛々しかった
です。
《キヅタの葉の首飾り》
ポンペイ テスモ通り出土 1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
94枚のキヅタの葉をかたどった金のネックレス
が長さ103cmもあり、洗練された意匠で素敵です!
図録にも出土された装身具の中でも最も美しい
ものの一つである、と書かれてありました。
今回、一番感動した作品は、やっぱり次の壁画です。
ポンペイ南側のモレージネ地区から発見された
色鮮やかな色彩が残り、ローマ皇帝ネロを表わす
といわれるアポロが描かれている。
この壁画はトリクリニウム(食堂)を囲う三面を復元
する形で、 コの字型に展示される。
高速道路の工事現場から発見されたという
巨大な壁画の三方に囲まれた真ん中に立って
いると、ものすごい気を感じて、自分も舞い上がり
そうになりました。朱色がかった赤が大変美しくて
竪琴を持つアポロも輝いて浮遊している姿が
素晴らしいです。
Nikkiさんのところで構成図が書かれているので
アポロを取り囲む形で女神ムーサ(ミューズ)たち
が誰なのか一目で分かりましたので、どうぞご覧
くださいね。
この壁画だけでも見る価値のある展覧会ですが、
2000年前に起こった悲劇を犠牲者の身につけて
いた美しい宝飾品からも感じとることができるでしょう。
この後は、いつものイタリアンへ行って4人で色々と
感想を述べ合ったりして楽しく過ごしました。
その最中に、思わぬ方からご連絡を頂きまして、
次の日に、「プラド展」へ行くことが急に決まりました。
そのことは、また次回書かせていただきます。
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