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2005/09/28

「レオナルドの驚異と彼が生きた時代 - レスター手稿を中心に」池上先生ご講演 No.4

本日も池上先生がご講演された

  「レオナルドの驚異と彼が生きた時代 -
                           レスター手稿を中心に

を会社の帰りがけに、板橋区立文化会館小ホール
で拝聴して参りました。

      leonardo

先生の素晴らしい盛り沢山なお話にますます
先生の大ファンになるとともにレオナルドも
改めて偉大な科学者であり技術者であり総合
芸術家であったことが分かりました。先生は
全力でレオナルド
について歴史的観点からその
生涯を辿るお話と各手稿がどのようにどこへ
渡っていったかなどを詳しく、いつもとおり
大きな画面で解説してくださいました。

先生にはスポット・ライトが全然当たらないように
していたのは先生が自ら希望したのでしょうか?
主役をレオナルドにスポットにあてて始終、黒子役
に徹していらした先生ですが、レオナルドについて
すべて頭に入っていらっしゃるのか、画面を送り
ながら次々と興味深いお話を話されて、また幸せな
時間を過ごすことができました。

前回のシンポジュームは南国帰りだったので、心身共に
ボケボケしていて、せっかくの素晴らしいお話の内容にも
ついていけずに申し訳なかったのですが、今回はレオナルド
に関する本を3冊読んで、準備していきましたので大体のこと
はよく理解できましたが、新たなお話も伺うことができ興奮
いたしました。今日はもう遅いので全文は書けないかと思い
ますが、なんとか皆様にもこの興奮をお伝えしたいと思います。

あらかじめ予習のために読んでいた本は、

shinri

レオナルド・ダ・ヴィンチ―
真理の扉を開く   

アレッサンドロ・ヴェッツォシ(著)
後藤 淳一(翻訳), 高階 秀爾
創元社

で、作者はシンポジュームのパネリストのお一人で、
レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館長をされて
いらっしゃる世界的なレオナルド研究者です。
このご本は13カ国にも翻訳されているだけあって
レオナルドの芸術の軌跡を図版を使ってすごく
詳しく解説してあり初心者にも分かりやすいので
展覧会に行かれる方はこの本を一読して行かれる
と「ノート」を観る

意味も違ってくると思います。
先生のお話とこの本と併用させて書かせて頂きます。


まずは、先生はレオナルドの名前についてお話
されました。正式な名前は、
レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
と言いまして、この「セル」は公証人と意味し、
当時は契約の場に立ち会ってサインをするなど
重要な職務に携わっていたそうです。
「ダ・ヴィンチ」はダヴィンチ村というのではなく
そういう姓で13世紀以来名の通った家柄でした。
ですので、「ダ・ヴィンチ家の公証人ピエールの
息子のレオナルド」という名前の意味になります。

レオナルドの実母は、父が小作地を所有していて
その小作地を借りていた一家の娘だったそうですが
レオナルドを生んでからは釜焼き職人と結婚し、
父ピエーロもフィレンチェの両家の子女と結婚しました。
しかし、産褥でその母も次の母も同じ様に亡くしました
が、実母と養母を合わせるとなんと全部で5人の母が
いたことになります。

「1452年4月15日土曜日、夜の3時に私の孫が生まれた。」
とレオナルドの祖父、アントーニオの手記に書かれていた、
と上記の本にも記されていました。

とここまでで全然短いのですが、続きはまた何回かに
分けて書かせていただきます。

科学的な裏づけやレスター手稿についても詳しく書けたら
と思います。

こんなに素晴らしいご講演を無料で聞かせていただいて
展覧会のチケットも頂けるなんて、本当に申し訳ない位です。


            ticket

毎日新聞社さんと池上先生、毎週、本当にありがとうございます。

序文だけで申し訳ないですが、レオナルド・シリーズとして
シンポジュームから続けてリンクさせて参ります。

「ココログ」ブログは容量をこれ以上、増やすことができ
ないそうですので、少しずつ以前の記事を整理しながら
書き続けていこうと思います。また、HPも作成してみよう
かしら?と思っているのですが、まだまだ未定です。
また、何か皆さんもアドバイスがありましたら教えて
くださいませ。それでは、レオナルドの続きをお楽しみに。。
    

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レオナルド・ダ・ヴィンチ」カテゴリの記事

コメント

いつもながらありがとうございます。はずかし~

ちなみにDa Vinceは文字通り「ヴィンチ村出身の」という意味なのですが、名家となったのでそれが苗字として定着したというわけです。
レオナルドは父側にひきとられ、祖父アントーニオに可愛がられたようです。アントーニオの妻であるレオナルドの祖母が芸術家の家系だったことはレオナルドのその後にとって暗示的ですね。ちなみに祖父は公証人では無く、曽祖父はフィレンツェで大使までつとめた大公証人です。
それにしてもその頃の産褥死亡率の高さは愕然とするほどですね。

投稿: ike | 2005/09/28 17:59

池先生

コメントとTBとリンクなどいろいろとお世話になりありがとうございました。

連続講演、本当にお疲れ様でした。レオナルドについて膨大なる情報をありがとうございます。忘れない内にどんどん書かなければと思うのですが、それにしても先生はすべてを覚えていらして素晴らしい頭脳ですね!!

先生のご講義を聴いてから他の方の講演会に行くとなんだか何しに来たのかしら~?と思うように途中で退室したくなることがよくあります。

この記事はもう修正することができなくて本当に申し訳ありません。どうもあまりこのブログシステムはよくできていないんです。。。書く者に苦労を強いります。

私も先生のおっしゃるような意味のことを書こうとしたのですが、ちょっと言葉足らずでしたね。。このコメント覧を読んでくださった方が気づいてくださるとよいのですが。。
また訂正文は、この後に載せますね。
また、何なりとご指摘くださいませ。

>それにしてもその頃の産褥死亡率の高さは愕然とするほどですね。
  本当にお気の毒ですね。。お産自体が母体を消耗させますし、その後に消毒などの処置があまりされないと菌が入ってしまうのでしょうね。。でもレオナルドの幼年期も青年期もとても恵まれて自由に自然を楽しんでいたことが観察眼をつけその後の芸術に大きな影響を与えたようですから、その幸せな少年期が天才レオナルドの人生の基礎を作ったのもわかりますね。周りの方たちの暖かい愛情が合ったので、あのような柔和な聖母像も描けたのでしょう。

投稿: Julia | 2005/09/28 21:41

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昨夜の板橋区立文化会館での講演会をもって、僕の分担の同展連携の三講演会がすべて終わりました。お忙しい中来てくださった皆さま、どうもありがとうございました。 講演会は片桐氏の代理ということで僕のような若輩者がさせていただきましたが、なんとかレオナルドと同展....... [続きを読む]

受信: 2005/09/28 17:32

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